丙午の2026年に行きたい開運神社10選――馬と火をめぐる全国の古社

2026年は60年に一度の「丙午(ひのえうま)」にあたります。火の性質が重なる年として古くから語られ、実際にこの年しか行われない神事も各地で斎行されました。この記事では、丙午の年に参拝先として名前が挙がる全国10社について、記録で確認できる由緒と、信仰や占いの側で語られてきた解釈を分けて整理します。4月に行われた榛名神社の60年に一度の大祭や、多度大社の上げ馬神事の現状も含めて見ていきます。

目次

2026年の丙午――記録で確認できること

干支は十干(10種)と十二支(12種)の組み合わせで、60年かけて一巡します。丙午はその組み合わせの一つで、十干の「丙」が火の陽、十二支の「午」も火にあたるため、火の性質が重なる年と説明されます。2024年の甲辰、2025年の乙巳に続く並びであることも、暦の上で決まっている事実です。

前回の丙午は1966年(昭和41年)でした。この年は戦後最長級の好景気「いざなぎ景気」(1965年10月〜1970年7月)のさなかにあたり、翌1967年には日本の人口が初めて1億人を突破しています(国土交通白書)。「勢いが膨らむ年」という語られ方は、この時期の経済指標を見るかぎり外れてはいません。

ただし、人口については逆のことが起きています。1966年の出生数は約136万人。前後の年と比べて極端に少なく、合計特殊出生率も1.58まで落ち込みました(厚生労働省「人口動態統計」)。丙午生まれをめぐる俗信から、その年の出産を避ける動きが広がった結果と説明されています。翌1967年には、出生数は元の水準に戻りました。

つまり丙午は、「数が増える年」というより、俗信そのものが人々の行動を変え、それが統計に残ってしまった年でもあります。占いの解釈とは別に、この一点は数字として確認できる話です。

丙午(ひのえうま)は60年ごとに巡ってくる 十干10種と十二支12種の組み合わせは、60年で一巡する 60年 60年 1966年 昭和41年/前回の丙午 2026年 令和8年/今年 2086年 次の丙午 出生数 約136万人 前後の年より大きく減少 合計特殊出生率 1.58 榛名神社 丙午還暦開扉大祭 4月1日〜8日/斎行済み 次の開扉まで60年 出典:出生数は厚生労働省「人口動態統計」/大祭日程は榛名神社の告知による

なぜ「馬」の神社なのか――絵馬と神馬の由来

午は馬を指します。そして神社と馬の結びつきは、伝承ではなく制度として記録に残っています。

『続日本紀』の天平宝字7年(763年)の条には、日照りに際して畿内の神々に幣帛を奉り、丹生川上の神には黒毛の馬を加えた、と記されています。これが文献上の初出とされます。平安時代の『延喜式』祈雨の条にも、丹生川上社と貴布禰社(貴船神社)にそれぞれ黒毛馬一疋を加えるという規定が見られます。雨を願うときは黒い馬、長雨を止めたいときは白い馬を奉る、という使い分けでした。

生きた馬の奉納はやがて木馬・土馬・紙馬に置き換わり、さらに板に描いた馬へと変わります。これが絵馬の由来です。貴船神社と丹生川上神社下社がともに「絵馬発祥の地」と伝えられるのは、この祈雨の歴史があるためです。

また、上賀茂神社の賀茂競馬(かもくらべうま)は、寛治7年(1093年)に宮中で行われていた5月5日の競馬を神社に移したことに始まると伝えられ、同社は我が国の競馬発祥の地とされています。近代的な乗馬ではなく、古式の「競馬(くらべうま)」である点は押さえておきたいところです。

東日本の3社――岩手・茨城・群馬

駒形神社(岩手県奥州市)

『延喜式神名帳』に記載され、奥州で最高位の神階を有した古社です。明治維新後に陸中一宮・国幣小社となり、明治36年(1903年)に御神霊が駒ヶ岳山頂から現在の水沢の地へ遷されました。奥宮は今も駒ヶ岳山上にあります。

主祭神の駒形大神は、大日命・天之常立命・国狭土命・吾勝命・置瀬命・彦火火出見命の六柱を総称した神格とされ、一柱の神名では表されません。社伝では、古代に関東から東北へ勢力を広げた毛野氏の一族が駒ヶ岳に駒形大神を奉斎したことに始まると伝えられます(この創建伝承については、社伝以外の裏づけを確認できませんでした)。

社名のとおり、馬の守護神・道開きの神として信仰されてきた神社です。山頂の奥宮から里宮、本社へと信仰が連なる構造そのものが、山の気を受け取る形になっているという読み方もされます。

大杉神社(茨城県稲敷市)

稲敷市阿波に鎮座する、関東・東北に広く分布する大杉神社の総本社です。「あんばさま」の名で親しまれ、豪奢な社殿群から「茨城の日光東照宮」とも呼ばれます。主祭神は倭大物主櫛甕玉大神。厄除け・八方除け・星除けのほか、日本で唯一の「夢むすび大明神」を称しています。

境内社に勝馬神社(馬櫪社)があり、かつて境内で競馬が行われた歴史と、近隣にJRA美浦トレーニング・センターがあることから、現在も競馬関係者やファンの参拝が絶えません。2019年の台風で折れた社殿近くのシイの枝が「馬が社を見守る姿」に見えると話題になったこともあります。

榛名神社(群馬県高崎市)

10社のなかで、今年もっとも明確な動きがあったのがこの神社です。榛名神社は西暦586年の丙午の年に創建されたと伝えられ、その由来にちなんで60年に一度、丙午の年にだけ「丙午還暦開扉大祭」が斎行されます。2026年はその開催年にあたり、御鎮座1440年の大祭が4月1日から8日まで行われました。

大祭期間中は、本殿奥の巨石「御姿岩」の内部に向けられた扉が60年ぶりに開かれ、多くの参拝者が訪れました。前回は昭和41年(1966年)、次は2086年です。大祭そのものは終わっていますが、これに合わせて国指定重要文化財の社殿群の保存修理が完了しており、修理を終えた姿を見られるのは今年からになります。

主祭神は火産霊神と埴山姫神。火と土という異なる性質の神が並ぶ組み合わせで、陰陽五行の枠組みでは「破壊と再生」の均衡を示すものと解釈されます。切り立った岩壁と巨石が連なる参道は、山岳信仰・修験道の霊場として発展した歴史をそのまま残しています。

東海・近江の2社――三重・滋賀

多度大社(三重県桑名市)

多度山系を御神体とする古社で、主祭神は天津彦根命。厄除け、開運、家内安全、事業繁栄などの信仰を集めてきました。伊勢湾岸と濃尾平野を見渡す位置にあり、山から流れ出る水の信仰と結びついている点が特徴です。

馬に関わる神事として知られるのが、県無形民俗文化財の「上げ馬神事」です。若者が馬に乗って坂を駆け上がり、上がりきった回数でその年の豊凶を占います。ただし、この神事は近年大きく形を変えています。2023年に坂で骨折した馬1頭が殺処分されたことをきっかけに批判が集まり、翌2024年から、坂上にあった2メートル近い壁が撤去され、傾斜も緩やかにされました。

2026年の神事は5月4日・5日に行われ、約5万人の観客が見込まれました。一方で、伝統的に参加してきた7つの「御厨」地区のうち今年参加したのは3地区のみで、担い手の確保が課題になっていることも報じられています。見に行く場合は、開催の形が年ごとに変わりうる神事だと知っておいたほうがよいでしょう。

長等神社と馬神神社(滋賀県大津市)

天智天皇が大津京を開いた667年、都の鎮護のために長等山の岩倉に須佐之男大神を祀ったのが始まりと伝えられます。貞観2年(860年)には円珍が園城寺(三井寺)の守護神として祀り、以後、三井寺の鎮守社としての性格を持ちました。朱塗りの楼門は大津市の指定文化財です。

境内社の馬神神社は、牛馬の守護神として「全国三馬神社」の一つに数えられる社です。豊臣秀吉が参詣したと伝わり、江戸初期には牛馬の疫病が流行した際に神札が諸国へ頒布された記録も残っています。現在も競馬・乗馬の関係者や馬の愛好家が参拝に訪れ、馬みくじや馬蹄のお守りが授与されています。

京都・奈良の4社

貴船神社(京都市左京区)

貴船川の源流に鎮座する、水の神を祀る古社です。主祭神は高龗神。社伝では、玉依姫命が黄船に乗ってこの地に至り、水源を祀ったことに始まるとされます。

先に触れたとおり、『延喜式』祈雨の条に丹生川上社と並んで名の挙がる神社で、朝廷は日照りには黒馬、長雨には白馬を奉納して天候を祈願しました。この奉納が板絵へ代わったことが絵馬の起こりとされ、貴船神社は絵馬発祥の社として知られています。縁結び、運気改善、心願成就などの信仰を集めています。

上賀茂神社(京都市北区)

正式名称を賀茂別雷神社といい、下鴨神社とともに山城国一之宮として王城鎮護の役割を担ってきました。主祭神の賀茂別雷大神は、北北西にある神山の山頂の磐座に降臨したと伝えられます。本殿・権殿は国宝、境内の多くの社殿が重要文化財で、世界遺産の構成資産でもあります。

馬との縁は10社のなかでも際立っています。毎年5月5日の賀茂競馬は寛治7年(1093年)に始まったと伝えられ、鎌倉時代には『徒然草』にも見物の様子が書かれました。神馬「神山号」が奉納されており、1月7日には、年始に白い馬を見ると一年の邪気が払われるという言い伝えに基づく「白馬奏覧神事」が行われます。

往馬大社(奈良県生駒市)

正式名称を往馬坐伊古麻都比古神社といい、生駒山を御神体とする古社です。主祭神は伊古麻都比古神・伊古麻都比売神で、古くから火を司る神として信仰されてきました。

その信仰を今に伝えるのが、奈良県指定無形民俗文化財の例祭「生駒の火祭り」です。氏子が北座と南座に分かれ、大松明神事や火取り行事で競い合うことから、かつては「勝負祭り」「けんか祭り」とも呼ばれました。現在は10月のスポーツの日の前日が祭り当日、前々日が宵宮にあたり、2026年は10月11日が祭り当日です。火の神と「馬」の字を併せ持つ神社の火祭りを丙午の年に見られるのは、今年だけということになります。

丹生川上神社下社(奈良県吉野郡下市町)

丹生川上神社は上社・中社・下社の三社で一つの信仰体系をなし、下社の主祭神は闇龗神です。水と気象を司る神として、朝廷の祈雨・止雨の神事を担ってきました。

763年の黒毛馬奉納の記録に始まる祈雨の歴史を持ち、貴船神社と並んで絵馬発祥の地の一つと伝えられます。現在も境内には白と黒の二頭の神馬が飼われており、晴雨の対を今に伝えています。吉野川水系に抱かれた静かな立地で、開運、厄除け、心願成就などの信仰があります。

岡山・高岡神社――御神木の龍と、確認できなかった神馬伝承

岡山県真庭市上中津井に鎮座する高岡神社は、延喜4年(904年)に上中津井の高丸山へ勧請され、仁安3年(1168年)に現在の宝宮山へ移り、火災の後、天明7年(1787年)に再建されたと伝えられる郷社です。御祭神は大倭根子日子賦斗邇命(孝霊天皇)、大日孁貴命、天児屋根命など。女性の守り神として、安産祈願でも知られてきました。

この神社が全国的に知られるようになったのは、参道入口の御神木がきっかけです。推定樹齢850年前後、高さ30メートル超、幹周8.65メートルの杉(真庭市の天然記念物)で、折れて裂けた枝が角や髭を持つ龍の姿に見えると、2023年11月ごろから話題になりました。翌2024年が辰年だったことも重なり、年始には参拝者が殺到しています。その後、龍の真裏にあたる部分に白蛇に見える箇所が見つかったと氏子から伝えられ、あらためて注目を集めました。

なお、日露戦争の当時に境内の神馬像が姿を消し、戦地で白い馬が駆ける姿が目撃され、戦後に像が元の場所へ戻っていた――という伝承が語られることがあります。ただし今回、この話の出典は確認できませんでした。地元で語り継がれてきた話として受け取るのが妥当なところです。

まとめ――10社の一覧と、確度の層

神社所在地主祭神馬との関わり
駒形神社岩手県奥州市駒形大神(六柱の総称)馬の守護神・道開きの神
大杉神社茨城県稲敷市倭大物主櫛甕玉大神境内社・勝馬神社
榛名神社群馬県高崎市火産霊神・埴山姫神武将の戦勝・馬の守護祈願
多度大社三重県桑名市天津彦根命上げ馬神事(5月4・5日)
長等神社滋賀県大津市建速須佐之男大神ほか境内社・馬神神社
貴船神社京都市左京区高龗神黒馬・白馬の奉納/絵馬発祥
上賀茂神社京都市北区賀茂別雷大神賀茂競馬/神馬・神山号
往馬大社奈良県生駒市伊古麻都比古神・伊古麻都比売神社名の「馬」と火の信仰
丹生川上神社下社奈良県吉野郡下市町闇龗神白黒二頭の神馬/絵馬発祥
高岡神社岡山県真庭市大倭根子日子賦斗邇命ほか神馬像の伝承(出典未確認)

ここまでの内容は、確からしさの度合いが同じではありません。読むときは次の3つの層に分けておくと混乱しません。

この記事での内容
記録で確認できる創建・遷座の年、祭神名、神事の日程と変更、『続日本紀』『延喜式』の記述、1966年の出生数
社伝・伝承駒形神社の毛野氏による奉斎、貴船神社の黄船の由来、高岡神社の神馬像の話
占い・風水の解釈丙午を「火が暴走する年」と読むこと、龍脈や結界点といった土地の読み方、ご利益の説明

今年の丙午も、すでに9月を過ぎました。榛名神社の開扉大祭も、多度大社の上げ馬神事も、賀茂競馬も終わっています。年内にまだ間に合う代表的な行事は、10月11日の往馬大社「生駒の火祭り」です。丙午を恐れる年と見るか、区切りの年と見るかは人それぞれですが、60年に一度と言われる年は、あと3か月ほどで終わります。

的中したかどうかは、記録が残っていて初めて検証できます。参拝して何かが変わったと感じた出来事があれば、ぜひ残しておいてください。

INVESTIGATION ARCHIVE

あなたの目撃情報・体験談を記録しませんか

都市伝説探求機関では、全国の目撃情報を記録するデータベースと、体験談の投稿窓口を運営しています。撮影日時と場所が記録として残ることが、将来の検証につながります。匿名で投稿できます。

投稿の前に投稿ガイドラインをご確認ください。

YouTubeでは、機密文書や目撃証言をもとにした解説動画を公開しています。

  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

目次